国民の押し付け仕事 人殺し増やしてく制度 死刑、反対。
昔、すごく若くてピチピチ美人(うそ)だったころ、
病院の外科病棟で、はたらいていた。
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ある患者さんは、ベテランの男性裁判官、Hさん。
かなり進行した癌をわずらっていた。
たくさんの自覚症状があったはずなのに、
受診が遅かった。
病院に来るまで、いろいろ我慢なさってたのかもしれない・・・
と感じた。
とにかく、我慢強い方だった。
模範的で、物静かな方だった。
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一度だけ、Hさんが激昂する姿を、見たことがある。
・・・あんなにストレスフルな入院生活の中で、
そのたったの一度だけだった。
いつでも自己を律して生きてこられたことが、病気を進めたのでは・・・
彼の我慢強さのすごさを見ていて、感じた。
「我慢のしすぎです。。。」と、いつも心の中で思った。
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だけど、Hさんはきっとすばらしい裁判官だったに違いない。
なぜなら、
「もし自分がなにかの裁判の当事者だったら、裁判官はHさんがいいな」
って思ったから。
けして、知り合いだからではなく。
ぜったいに、公平に裁くことにできる限り努力する人だろう、と思ったから。
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真摯に取り組もうとすれば、人並みはずれた我慢の要る職業なのではないか?
そして、身体を蝕む。
「裁判官とは、なんて大変な仕事なんだろう」
Hさんのお人柄を通して、遠かった世界が迫ってきた。
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ニュースにのぼるのは、<裁かれる人>のことが多いけれど、
法律システムに守られてるとはいえ、
<裁く人>も、生身の人間なんだよな〜、って思う。
死刑執行人も。
戦争の司令官も。兵士も。
ロボットでも、フィクションのキャラクターでもなく、
みんな生身の人間。
それで、いつでも、“誰か”の代理なんだ。
その“誰か”は、私でもあるんだろうな。
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自分の仮説ですが、
死刑持続派の人は、かえって、
「自分の死が、かなりとてもこわい」
って、思っている人が多いのではないかな?